土曜日の話だが、彼女と天橋立に行って来た。彼女は以前にも書いたように、福知山=京都の人で、天橋立には行ったことがあるようだったが、私に気を使ったのか「それでも行きたい」などと言ってくれた。
土曜日の朝は長袖にしようか、半そでで行こうか悩むくらいの半端な寒さだった。元々暑がりなので、半そでで行くと、寒かった。こういうときの私は大抵ミスチョイスを犯す。それでも、橋立を歩いていると、天気もよくなり、歩くので体も温もってきて、半そででもよくなってきた。天橋立を渡りきり、また覗きの傘松公園には一度戻った後、船で行った。また覗きをしたのだが、今一分からない。まあ、彼女の前なので、「なんとなく分かった」とは言っておいた。
そして、今日、天橋立に行ったことを同僚に話すと、「あそこは別れの名所らしいよ」といわれた上、「渡りきったら別れるらしい」とまで言われた。ショッキングすぎる。渡りきった私たちは何者なのだ?だけど、京都府にいながら、天橋立のことを知っていなかったのか、彼女は最後まで一緒にわたってくれた。ってことは、知らなかったのかな?
大体、「あそこに行ったら別れる」なんて、結果論でしかない。もしも、別れるならそこに行った時点で別れなければ、意味が違うのではないか。名所にしたら何とも不名誉ないわれだ。それに、別れの名所に行っても、別れないカップルは別れないし、別れるカップルは別れる。私たちは別れないと信じたいし、別れない自信がある。まあ、別れれば別れた出そのときだし。